shall は未来ではなく義務──規制文書の英語を読み解く4つの型
海外の規制文書や契約書で、単語は分かるのに意味がつかめない原因は語彙ではありません。定義条項、shall と may の使い分け、placing on the market と putting into service の違い、without prejudice to の読み方を、EU AI Actの条文を教材にビジネス英語の実践として解説します。

海外の規制文書や契約書を読むとき、単語はすべて知っているのに意味がつかめない、という経験はありませんか。原因は語彙ではなく、この種の文書が持つ独特の作りにあります。
規制文書には、日常の英語とは違うルールが3つあります。重要な言葉には必ず定義が付いていること、義務の強さが助動詞で決められていること、そして例外や優先関係が決まった言い回しで示されることです。この3つを知っていると、読む速度が変わります。
今回は、2026年8月に本体の適用が始まったEU AI Act(EU人工知能法)の条文を教材に、規制文書の英語を読み解く型を整理します。AIを扱う会社でなくても、この型はどの規制文書にも使えます。
規制文書で最初に押さえる4つの型
| 型 | 具体例 | 読み取り方 |
|---|---|---|
| 定義 | 'provider' means... | 日常語と意味が違う。定義条項が最優先 |
| 義務の強さ | shall / may / shall not | shall は義務、may は裁量、shall not は禁止 |
| 適用の開始 | shall apply from... | いつから効くかを日付で区切る |
| 優先関係 | without prejudice to... | 別の規定を損なわない、という留保 |
1つ目の定義から見ていきます。規制文書では、重要な言葉に必ず定義が置かれます。EU AI Actの第3条は、まさに定義だけを並べた条文です。
たとえば provider という語です。日常の英語なら「提供者」「業者」くらいの意味ですが、条文ではこう定義されています。「'provider' means a natural or legal person, public authority, agency or other body that develops an AI system or a general-purpose AI model or that has an AI system or a general-purpose AI model developed and places it on the market or puts the AI system into service under its own name or trademark, whether for payment or free of charge」。
長いので分解します。自然人または法人、公的機関、行政機関その他の団体であって、AIシステムまたは汎用AIモデルを開発する者、あるいは開発させたうえで、自らの名称または商標のもとでそれを市場に出す、もしくはサービスに供する者を指します。そして最後に「有償か無償かを問わず」と付きます。
ここで大事なのは、無償でも provider になるという点です。日常の感覚では「売っていないなら業者ではない」と考えがちですが、条文はその逃げ道を閉じています。定義条項を読み飛ばすと、この一言を落とします。
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日本人ビジネスパーソンが誤読しやすい3つの場面
| 場面 | よくある誤読 | 実際の意味 |
|---|---|---|
| shall を見たとき | 「〜するだろう」という未来 | 「〜しなければならない」という義務 |
| provider と deployer | どちらも「提供する側」 | 作って市場に出す側と、使う側で別物 |
| without prejudice to | 「〜を害することなく」と直訳して終わる | その規定は生きたまま、という留保 |
1つ目が shall です。学校英語では未来を表す助動詞として習いますが、法令文では義務を表します。The provider shall ensure... は「提供者は確保するだろう」ではなく「提供者は確保しなければならない」です。ここを未来の意味で読むと、義務の記述が予測の記述に化けます。
対になるのが may です。may は許可または裁量を表し、「〜することができる」と読みます。The Commission may adopt... は、採用してもよいが義務ではない、という意味です。そして shall not は禁止です。この3つを見分けるだけで、条文のどこが必ずやるべきことなのかが分かります。
2つ目が、役割を表す言葉の混同です。EU AI Actは provider と deployer を明確に分けています。deployer の定義はこうです。「'deployer' means a natural or legal person, public authority, agency or other body using an AI system under its authority except where the AI system is used in the course of a personal non-professional activity」。自らの権限のもとでAIシステムを使用する者を指し、個人的な非職業的活動の過程で使用される場合は除かれます。
日本語ではどちらも「提供者」「利用者」と訳され、境界があいまいになりがちです。しかし条文では、負う義務がまったく違います。自社がどちらにあたるかで、読むべき条文が変わります。
3つ目が without prejudice to です。直訳すると「〜を害することなく」ですが、実務での意味は「その規定は引き続き適用される」という留保です。This Regulation shall apply without prejudice to Directive X と書かれていたら、この規則が適用されてもDirective Xの効力は残る、という意味になります。新しい規則だけを読んで安心してはいけない、という警告として機能します。
私はChatGPT Plus、Claude Pro、Claude Codeで技術文書の翻訳を試しましたが、専門用語が文脈の中でどう使われているかの判断や、業界ならではの言い回しの扱いで、正確さにばらつきがありました。長年のIT経験から見て、APIやデータベース関連の翻訳では機械的な直訳になりがちで、実際に使う場面での自然さが足りないと感じています。規制文書の用語も同じで、定義条項を参照せずに訳すと、日常語の意味で置き換えられてしまいます。
関連: 英語が原因で昇進を逃した話|評価されていたのは語彙ではなく、発言が届くかどうか で詳しく解説しています。
動詞句で市場との関係を表す3つの表現
| 表現 | 条文上の意味 | 押さえる点 |
|---|---|---|
| making available on the market | 商業活動の過程で、流通または使用のために供給すること | 有償・無償を問わない |
| placing on the market | 市場で最初に available にすること | 「最初」であることが要件 |
| putting into service | deployer への最初の使用のための供給、または域内での自己使用 | 市場に出さなくても該当し得る |
規制文書は、市場との関わり方を動詞句で細かく区別します。EU AI Actの第3条を見ると、この3つが順番に定義されています。
まず making available on the market です。条文では「the supply of an AI system or a general-purpose AI model for distribution or use on the Union market in the course of a commercial activity, whether in return for payment or free of charge」と定義されています。商業活動の過程で、EU市場での流通または使用のために供給することを指し、ここでも有償・無償を問いません。
次に placing on the market です。「the first making available of an AI system or a general-purpose AI model on the Union market」と定義されています。市場で最初に available にすることです。first という1語が要件になっており、2回目以降は placing にあたりません。この1語を落とすと、条文の適用範囲を取り違えます。
3つ目が putting into service です。「the supply of an AI system for first use directly to the deployer or for own use in the Union for its intended purpose」と定義されています。deployer に直接、最初の使用のために供給すること、または域内で自らが意図した目的のために使用することを指します。
注目してほしいのは、3つ目に「for own use」が含まれる点です。市場に出していなくても、自社で使えば putting into service にあたり得ます。「社内利用だから規制の外」という理解が通らない構造になっています。こうした条件の並びは、日本語の要約では真っ先に落ちる部分です。
今週から試せる4つの練習
| 練習 | やること | 1回あたり |
|---|---|---|
| 定義の逆引き | 条文の1文から、定義されている語を全部拾う | 5分 |
| 助動詞の色分け | shall / may / shall not に印を付ける | 3分 |
| 分解して読む | 長い定義文を「主語・行為・条件・但し書き」に割る | 10分 |
| 適用日の抽出 | shall apply の日付だけを表にする | 5分 |
1つ目は、定義の逆引きです。条文を1文選び、その中で定義条項に登場する語をすべて拾い出します。provider、deployer、placing on the market、intended purpose。こうした語は、必ずどこかで定義されています。定義を確認せずに読み進めるのが、いちばん多い失敗です。
2つ目は、助動詞の色分けです。印刷した条文に、shall を赤、may を青、shall not を黒で印を付けます。3分で終わりますが、義務と裁量と禁止の分布が目で見えるようになります。この作業を数回やると、印を付けなくても目に飛び込んでくるようになります。
3つ目は、長い定義文の分解です。provider の定義のような1文を、主語、行為、条件、但し書きに割ります。誰が、何をして、どういう条件で、どんな例外があるのかを分けます。この4つに割ると、どんなに長い定義文でも構造がつかめます。
4つ目は、適用日の抽出です。規制文書は shall apply from という形で適用の開始を示します。EU AI Actでは、2026年8月2日から残りの規定の適用が始まり、第6条第1項とそれに対応する義務は2027年8月2日から適用されます。同じ法律の中で施行日が段階的に分かれているため、日付だけを抜き出して表にしておくと、自社に何がいつ効くかが一目で分かります。
FAQ
Q: shall を「〜するものとする」と訳すのは正しいですか
法令文の訳としては一般的な形です。ただ、社内で共有するときは「〜しなければならない」と書いたほうが伝わります。「〜するものとする」は日本の法令文の慣用表現ですが、読み手が法務以外の場合、義務の強さが伝わりにくいことがあります。英語の原文で shall なのか may なのかを確認したうえで、読み手に合わせて訳し分けてください。
Q: 定義条項は毎回読まないといけませんか
自社に関係する語だけで構いません。EU AI Actの第3条には数十の定義がありますが、全部を読む必要はないのです。まず自社がどの立場にあたるかを決め、その語の定義だけを確認してください。provider なのか deployer なのかが決まれば、読むべき条文が絞られます。この最初の切り分けを飛ばして本文から読み始めると、関係のない義務まで背負ってしまいます。
Q: 日本語版があれば、英語で読む必要はありませんか
公式の日本語版が存在する法令なら、それを使って構いません。ただしEUの規則には公式な日本語版がなく、流通しているのは各社が作った訳です。訳の質は差が大きく、whether for payment or free of charge のような但し書きが落ちていることがあります。日本語訳を使う場合も、自社に直接関わる定義と適用日だけは英語で確認することをおすすめします。
Q: 生成AIに条文を訳させてもよいですか
下訳としては使えますが、そのまま社内資料にするのは避けてください。定義された語を日常語の意味で置き換えてしまうことがあり、しかもその置き換えは自然な日本語に見えます。使うのであれば、まず定義条項を自分で確認し、その語をどう訳すかを決めてから、その訳語で統一するよう指示する形が安全です。訳語を先に固定してから訳させると、精度が上がります。
Q: 契約書の英語にも同じ型が使えますか
使えます。契約書も冒頭に定義条項を置き、shall で義務を表し、without prejudice to や notwithstanding で優先関係を示します。構造は規制文書とほとんど同じです。違いは、契約書の定義は当事者が自由に決められる点で、一般的な意味と大きく異なる定義が置かれていることもあります。だからこそ、定義条項を先に読む習慣がより重要になります。
まとめと次の一歩
規制文書の英語が読みにくいのは、語彙が難しいからではありません。定義された語が日常語の顔で登場し、助動詞が義務の強さを担い、優先関係が決まった言い回しで示されるという、3つのルールを知らないまま読んでいるからです。
まず定義条項を確認してください。provider は無償でも該当し、deployer は自らの権限のもとで使用する側を指します。placing on the market は「最初に」市場に出すこと、putting into service には自社での使用も含まれます。どれも、定義を読まなければ日常語の意味で通り過ぎてしまう語です。
次に助動詞を見分けてください。shall は義務、may は裁量、shall not は禁止です。ここを未来の意味で読むと、条文全体の性格を取り違えます。
そして適用日を抜き出してください。EU AI Actのように、同じ法律の中で施行日が段階的に分かれている例は珍しくありません。
次の一歩として、手元にある英語の規制文書か契約書を1つ選び、定義条項に登場する語を5つ拾い出してみてください。そのうえで本文を読むと、同じ文章がまったく違って見えます。この作業は1回15分程度で終わり、効果はその日から出ます。
参考・出典
- EU Artificial Intelligence Act, Article 3: Definitions(provider、deployer、placing on the market、making available on the market、putting into service の定義): https://artificialintelligenceact.eu/article/3/
- EU Artificial Intelligence Act, Implementation Timeline(2026年8月2日および2027年8月2日の適用開始): https://artificialintelligenceact.eu/implementation-timeline/
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